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今日の日記2018.6.24(芋焼酎「白濁 鶴見」) [日記]

今日は、カトリック町田教会でのミサの帰りに、町田市街一番の和洋酒の品揃えを誇る「エスポア なかのや」に寄りました。帰り道でしたので何気なく寄ったのですが、なんと!鹿児島県大石酒造の芋焼酎「鶴見」があるじゃないですか!それも無濾過製造の「白濁 鶴見」です!即買っちゃいました!900mlで販売価格は2,200円+税でした。ちなみに、ある酒屋のオンラインショップでは1,350円でした( ̄◇ ̄;)
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「これぞ芋焼酎だ〜!」って叫びたくなるほどの芋臭い=芋のコクと甘みのある芋焼酎は、白濁 鶴見の他に知りません!1杯目はストレート、2杯目はお湯割りで呑みました!これは美味い!これはハマりましたね!
私も妻もお酒の飲めない家系で育ったのですが、なぜか私と娘だけが呑めるのです(⌒-⌒; )今まで家にはお酒の買い置きはなく、自宅呑みはワイン以外はしなかったのですが………最近は焼酎を常置して家呑みするようになりました。まぁ、糖質やプリン体の多いビール、日本酒やワインと違って、焼酎は蒸留酒ですので糖質は0ですから安心して呑めますね。

大石酒造株式会社のホームページから
「白濁鶴見」は、焼酎の個性を深く味わって頂くため、あえて蒸留してすぐ(検定後3日以内)の焼酎を無濾過で製品化しました。この製品は熟成をしておりませんので、瓶詰直後のものは強烈なガス臭がしますが、置いておくことでガス臭は抜けていきます。時の経過により変化していく味をお楽しみいただけます。また、無濾過のため芋焼酎の旨みを存分に味わえるようになっております。低温では白く濁り、オリが出ることがございます。長期保管される場合は、香味の変化が生じる為お好みが分かれますが、個性としてお楽しみいただければと存じます。」
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教会日記2018.6.24(カトリック町田教会「主日のミサ」日曜日) [教会日記]

今日は、カトリック町田教会の10時30分からの主日のミサに与ってきました。終わってから昨年度の運営委員と今年度の新しい運営委員の歓送迎会が開催され参加してきました。昨年度の運営委員長を務めていた私は送別される方です。まぁ、すでに2月には交代したのですが( ̄◇ ̄;)
ミサでは、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、「天におられる私達の父よ、どうかこの祈りを聴き入れてください。慈しみ深く憐れみ深い主よ、主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。私達の主イエス・キリストによって。アーメン」とお祈りしてきました。日曜日のミサは久しぶりでした。
今週の祭壇前の生け花です。いつも綺麗ですね〜!
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亀井勝一郎のことば(第2日目) [非キリスト者]

「教養の真のあらわれは、その人の「はにかみ」にある。」

亀井勝一郎のことは、「亀井勝一郎のことば(第1日目)2018.6.23」をご覧ください。
「はにかみ」とは、恥ずかしがることですね。亀井氏は、これを「教養の真の現れ」と説いています。「はにかむ」こと=決して教養がある(教養が高い)ことを自慢することなく、高ぶることもなく、また誇ることなく「はにかむ」ほどの謙虚な態度と姿勢であること、それが「教養の真の現れ」ということですね。
ちなみに、私は「はにかむ」を「廉恥(れんち)」に置き換え、その大切さを説きたいですね。恥を知ることです。決して“破廉恥(はれんち)”ではありません。恥をかくことは、生きていれば人生においてたくさんあると思いますが、「恥の掛け捨て=破廉恥」はいけないのです。亀井氏の説く「教養の真のあらわれ」は、「はにかみ」と共に「廉恥」であると思います。教養の高い人は、恥というものを自覚しているからこそ、破廉恥にならないのですね。

【廉恥】
心が清らかで、潔く恥を知る心が強いこと。性行がいさぎよく,節義を重んずること。
【破廉恥】
恥ずべき物事を平気で行うさま、恥を恥とも思わないさまなどを意味する表現。廉恥心、羞恥心や貞節さに欠けるさま。性的に淫らなさまを表すことも多い。
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吹奏楽日記2018.6.23(東京都大学吹奏楽連盟役員会) [吹奏楽日記]

今日は、上野にある東京文化会館で、19時から東京都大学吹奏楽連盟の役員会が開催され出席してきました。今は帰りの電車の中です。会議内容は、6月10日に八王子市にある創価大学で事業実施した「平成30年度親睦会」の報告及び反省、そして、8月16日に江戸川区総合文化センターにおいて事業実施予定の「平成30年度東京都大学吹奏楽コンクール」の実施計画打ち合わせでした。これからも学生諸君の活躍に期待大ですね!
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教会日記その二2018.6.23(カトリック麹町・聖イグナチオ教会「お祈り」土曜日) [教会日記]

今日はお休み(有休日)ですが、業務調整のために有休日出勤しました。昼食をとって13時過ぎに職場を出て、上司の入院先である独立行政法人国立病院機構東京医療センターにお見舞い&業務報告に行ってきました。終わってから、上野にある東京文化会館で、18時30分から開催される東京都大学吹奏楽連盟の役員会に出席する前に、四ツ谷にあるカトリック麹町・聖イグナチオ教会へお祈りをしに訪問しました。

いつも教会の広い主聖堂では、案外たくさんの方がお祈りに来ていて、皆さんとても静かにお祈りされています。ただ、出入りの扉の開閉の音が気になるため、隣接しているザビエル聖堂(小聖堂)でお祈りしました。お御堂では、雨が降って雨水が流れる音がリズムよく聞こえるため、その催眠効果にたちまち睡魔に襲われ、不謹慎にもロザリオの祈りが一連も満足にできずに終わってしまいました〜( ̄◇ ̄;)反省ですね!
写真の左側にある黒い修道服を着た人の像は、男子修道会のイエズス会創設者の一人であるイグナチオ・ロヨラです。ちなみに、歴史の教科書で習ったと思いますが、日本に初めてキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルもイエズス会創設者の一人です。
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聖ザビエル聖堂は静寂の極みです。
睡眠効果抜群です!( ̄◇ ̄;)
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教会日記2018.6.23(カトリック成城教会「平日のミサ」土曜日) [教会日記]

今日はお休み(有休日)なのですが、仕事の業務調整や上司のお見舞いなどなどいろいろとあり、有休日のまま職場に出ることにしました。その前に、出勤途中の小田急戦成城学園前駅で下車し、カトリック成城教会の7時からの平日のミサに与ってきました。
ミサでは、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、「天におられる私達の父よ、どうかこの祈りを聴き入れてください。慈しみ深く憐れみ深い主よ、主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。私達の主イエス・キリストによって。アーメン」とお祈りしてきました。いつものように今朝も清々しい朝を迎えることができました。
成城教会の聖堂にある聖母マリア様のご像です。ピンク色の花がきれいですね~。ナデシコ?かな?
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亀井勝一郎のことば(第1日目) [非キリスト者]

「幸福というものはささやかなもので、そのささやかなものを愛する人が、本当の幸福をつかむ。」

亀井勝一郎(北海道:1907年~1966年)は、作家、文芸評論家です。北海道函館区(現在の函館市)生まれ。旧制函館中学校(現在の北海道函館中部高等学校)から旧制山形高等学校(現・山形大学)経て、1926年に東京帝国大学文学部美学科に入学、1927年には「新人会」会員となり、マルクス・レーニンに傾倒して1928年には退学しています。

労働運動などに奔走しますが、のち文芸評論家として再出発。『プロレタリア文学』『現実』などに論文を発表、また『日本浪漫派』を創刊し、以後日本の伝統の中に自己と民族の再生の道を求め、古典・仏教美術に深い関心を寄せています。著作に『大和古寺風物誌』『日本人の精神史研究』など。読売文学賞・芸術院賞・菊池寛賞受賞。芸術院会員。癌により亡くなりました。59才没。

「幸せ」は“ささやかなもの”ということです。大金持ちでもなく、豪邸に住むことでもなく、身分の高さでもなく、“ささやまなもの”が「幸せ」だと亀井氏は説いています。人間は“欲”の生き物です。欲には際限がありません。“ささやかなものが幸せである”と自覚できるかどうか、これが“幸不幸”の分かれ目だと思います。
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新約聖書:テサロニケの人々への第一の手紙・第5章・第12〜第22節 [聖書]

「兄弟のみなさん、あなたがたにお願いします。あなたがたの間で労苦し、主に結ばれているあなた方のために配慮をし、あなた方に忠告を与える人々を認め、その任務の故に彼らを、愛をこめてこの上なく尊敬してください。互いに平和を保ちなさい。
兄弟のみなさん、あなたがたに勧めます。けじめのない生活を送る人たちに忠告を与え、小心な人たちを励まし、か弱い人たちの面倒をみてあげなさい。誰に対しても寛容でありなさい。誰に対しても悪に悪を返すことがないようによく注意し、お互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行うよう励みなさい。
いつも喜びを忘れずにいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることなのです。霊を消してはなりません。預言を侮らないようにしなさい。そのすべてをよく吟味しなさい。そのうえで道理にかなったことを大切に保ち、悪いことならどんなことであっても、それに近づいてはなりません。」
(「原文校訂による口語訳・フランシスコ会聖書研究所訳注」による聖書から)

「テサロニケの人々への第一の手紙」は、新約聖書に収録された一つの書簡(手紙)です。別名「テサロニケの信徒への手紙第一」とか、「フェサロニカ人に達する前書」とも呼ばれています。テサロニケは、現在のギリシャ共和国の第2の都市「テッサロニキ」のことですね。この書簡は、使徒パウロの書簡の中で最も早い時期、おそらく紀元51年ごろに書かれたものであるとみなされています。キリスト教内の伝承から新約聖書学にいたるまで、この書簡の筆者が使徒パウロであることを疑う意見はほとんどありません。

テサロニケにキリスト教を布教したのは使徒パウロが最初であり、その教会は彼が設立したようです。この書簡は、信徒テモテがマケドニアからコリントの使徒パウロのもとへ戻った後で、テサロニケの教会の様子を知って書いたと考えられています。使徒パウロは、テサロニケの教会が良い状態にあることを喜びつつも、自分の教えが間違ってとらえられていることにも気づいて、この手紙によってそれらの誤りを正していることが分かります。模範的な信徒となって、聖なるものになることを神が望んでいると強調しているのですね。

この掲載した部分は、「キリスト者の務め」(=クリスチャンの務め)という題が付いています。「兄弟」とは、本来の意味の兄弟というよりも、自分に関係する隣人のことを指します。書簡の中段の部分に、「いつも喜びを忘れずにいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」とあります。聖書の中の有名な言葉で、私の所属しているカトリック町田教会では掛け軸にしてロビーに掛けてあります。キリスト教の信徒としての“心構え”ですね。やはり第一に「喜び」がきますが、これは「平安(平和)」ということと解釈します。そして「祈り」がきます。次に「感謝」ですね。「いつも喜びを忘れずにいなさい。」とは、そこには怒り、憤り、妬み、恨み、誹りなどの悪意はまったくない、平安な日々があるわけです。平安と希望は喜びです。

「絶えず祈りなさい。」は、これこそキリスト者(クリスチャン)の基本姿勢ですね。神様に祈るとは、悩んでいる人達のため、弱い立場の人達のため、病気で苦しんでいる人達のために祈るのです。人のために祈ることも善い行いとなるのです。「どんなことにも感謝しなさい。」とは、一般的な感謝のことを意味しますが、それだけでなく“隣人への愛と赦し”ができることへの感謝ですね。愛も赦しも自発的なものですから、感謝することではないように感じるかもしれませんが、これは“表裏一体”なのです。「隣人への愛をもつことができること。隣人への赦しができること。」、この“できることへの感謝”なのですね。
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今日の日記2018.6.21(銀座木村屋) [日記]

今日は、平成29年度決算に係る関係業務で都心の京橋に近郊主張でした。帰りに娘が勤務する会社近くの銀座四丁目に出て、娘と“銀ぶら”をしょうと思ったら「木村屋」の店頭に来てしまいました!………ということは、木村屋名物のアンパンを買わないわけにはいきませんよね(⌒-⌒; )買っちゃいました!課の皆さんにお土産です!
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祈りの言葉(聖ベルナルドの「聖母マリアのご保護を求める祈り」) [祈り]

このブログの2016年8月21日に掲載したものを再度掲載いたします。
クレルヴォーのベルナルド(ベルナルドゥス又はベルナール:フランス・1090年~1153年)は、12世紀のフランス出身の神学者で、すぐれた説教家としても有名です。キリスト教カトリック教会とキリスト教聖公会の聖人で、33人の教会博士のうちの一人です。神学と霊的生活に関する多くの著作を残し、1153年8月21日に死去しました。

《聖ベルナルドの前に現れた聖母マリア》は、画家のフラ・バルトロメオによって制作された作品です。制作年は1504年から1507年で、フィレンツェ ウフィッツィ美術館に所蔵されています。左手に天使たちが無数に描かれ、天使達によってイエス様を抱いた聖母マリア様が中央に押し出されるような形になっています。画面の右側には、ひざまづく聖ベルナルド、そして黒い修道服の聖ベネデット、福音者聖ヨハネが立っています。
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フランスのフォンテーヌで、騎士テセランの子として生まれ、家族からは軍人になることを期待されていましたが、彼は修道院に入りたいと思い、1112年にシトー修道院に入りました。1115年に創設されたクレルヴォー修道院の院長に若いベルナルドが任命され、このことから彼は“クレルヴォーのベルナルド”と呼ばれることになりました。

ベルナルドは、聖性と自己節制の厳しさ、そして説教師としての優れた資質によって彼の名声は高まっていき、修道院には多くの人が集まりました。そして、その卓越した指導力と模範的行動(生活)によって修道士達を「完徳」に導いたそうです。教会の分裂が生じると、平和と一致を回復するため、ヨーロッパ中を巡り歩いて努力しました。

この祈りは、聖母マリア様に主イエス・キリストへの願いを取り次いでもらえるようにお祈りするものですが、それと共に、聖母マリア様にご保護を求めるお祈りでもあります。私は弱い人間ですので、日頃から何か不安なことがあると、聖母マリア様に勇気をお与えいただけるようお祈りしています。聖母マリア様と対話するお祈りですね。

『聖母マリアのご保護を求める祈り』
「いつくしみ深い乙女マリア、
ご保護によりすがって御助け(おんたすけ)を求め、
あなたのお取り次ぎを願う者が、
かつて誰ひとり棄てられた者のないことを
思い出してください。

母であり乙女のなかの乙女であるマリア、
それゆえ、私はあなたへの信頼に
勇気づけられ、身許にかけより、
罪人の私はこの希望に支えられて
あなたに呼び求めます。

みことばの御母(みはは)よ、私の祈りを顧み、
み憐れみをもって、
この祈り【願いごと】を聴き入れてください。
アーメン」
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